エッセイ投稿

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 トランス・ナショナルの時代といわれる今日ではあるが、そう言われるのは、実際には国境線は厳然としてあるからである。この状況下で被差別部落と非被差別部落の文化的差異を創造し強調することは、国内的に新たな境界を設定することにも等しい。にもかかわらず、相変わらずその傾向が止むことはない。伝統の発明と差異の発見は、一瞥したところ「違いを認め合う」という正当な要求のようにみえるが、結果として、被差別部落と非被差別部落の関係を文化的な二項対立の中に置いてしまうのである。そして、最悪の場合差別を受け入れることにもなる。

 マルクスは、『経済学・哲学手稿』で抑圧されながらも自己を、従って他者を抑圧する存在として、資本主義の労働者階級を描いた。被差別部落民という概念は階級を意味することはないが、このマルクスの理論にたてば、創造された伝統や文化的差異を認め、それを担うことは、自己をさらに抑圧することになる。そして、非被差別部落民の文化との差異を強調することは、日本人と異なる日本人として自己を仮構し、自己の解放運動が、抑圧されつつも他者を抑圧する無自覚の植民地主義時代をもたらし、世界史的にも自己の解放運動を正しく位置づけることを妨げることにもなるだろう。

 一方で、伝統の発明と差異の発見は、非被差別部落民にも、多文化主義の下での文化本質主義による罪過を犯させる。ジョック・ヤングは、『排除型社会-後期近代における犯罪・雇用・差異』で後期近代において、文化本質主義がマイノリティを悪魔化するメカニズムについて論じた。文化本質主義は文化的差異を口実に生まれつき優越性をもっていると信じさせるだけではなく、他方で同時に、他の人々を、本質的に邪悪で、愚かで犯罪的な人々として、つまり悪魔として描いてしまう。ヤングの分析対象は、アメリカのマイノリティであるが、マイノリティの悪魔化は、日本においてもすでに始まっている。かつて筆者は、警備保障会社の社員が、安全を商品化するために、被差別部落民を治安の対象に仕立て上げ、危機不安が商品化されるプロセスをつまびらかにした。

 フーコーは、権力とは本質的に関係性であるとして、人間が取り結ぶ日常の中の統治性を見た。そして、大きな統治権力、すなわち国家やその政策は、この諸関係の中にしか存在しないと述べている。そして、「知」がどのような効果を及ぼしているかが関心事であると述べている。要するに、文化と権力は容易に繋がり、大きな権力(国家)がそこで顔を出す。

 被差別部落の文化の研究は、文化の意味規定、および「知」の領域でどのような結果を生むのか。今そのことが問われている。そして本文では、被差別部落の「文化をめぐる言説を生産する行為の社会的意味関連を問う必要性を明らかにした。筆者は、「知」が被差別部落の「文化」の虚構を創造し、それが真実であると喧伝するとき、それが被差別部落民への暴力となると考えるのである。

 ある市の職員間で発生した興味深い現象を耳にした。

 労働者は、長く勤めると当然、昇進の機会を得ることがある。彼らはたいてい昇進を歓迎する。しかしこの市ではある職員が昇進の機会を自ら拒否してきた。昇進を拒絶する理由は誰にも語らなかった。この人を仮にAさんとしておこう。

 Aさんの同僚に被差別部落出身者がいた。その人を、仮にBさんとしておこう。二人は半農地域の隣接する集落に住む。お互いをよく知る関係でもある。そのBさんにも昇進の機会が訪れた。Bさんは昇進を快諾した。するとAさんはBさんの昇進に対して異議を表明した。Bさんが昇進するのは納得できないと主張した。Aさんは、その理由を明らかにしなかった。一方Bさんは予想外の異議申し立てに動揺した。また何の昇進に権限もないAさんの異議を不愉快にも思った。Bさんは部落解放運動を積極的に支持していた。Aさんが理由を述べないでただ自分の昇進に反対するのは自分が被差別部落出身だからではないかと疑問を抱いた。そしてその胸の内を明らかにした。そうするとAさんは、差別意識を否定したうえで、すぐさま知り合いのCさんにそのことを相談した。それは明らかに間を取り持ってほしいということだった。

 Cさんは、自分が選ばれた理由を、AさんBさんの共通の知り合いだったからだと考えている。立場性を明確にするために述べておくとCさんは被差別部落民ではない。関係者の若干の議論を経てAさんの発言は、部落差別とは無関係だという結論に至った。確かな証拠はなかった。しかし、Cさんは、これは差別事件であると断言する。理由は、AさんがBさんの昇進を反対する権限を持たないにも関わらず理由を告げずに反対の意思を公言すること自体、社会に埋め込まれた差別の力を感じざるをえないからだ。そして何よりAさんが部落差別とは関係がないと断言できるなら、わざわざ自分のところに相談に来る必要はない。そして、共通の知り合いの自分に相談に来るということが自分の後ろめたさの表れであり、Bさんの感情を慰撫してほしいという願望をもってのことだからだと言う。

 私は、Cさんの見解に同意する。これまでは、他の人事に一切クレームを付けたことがなかったAさんが、この件に関してのみクレームをつけるのは、同僚であるにもかかわらず、Bさんに対する優越的な立場にあるという意識を反映している。Bさんが昇進すると、自ら昇進を拒否してきたためにAさんは彼の部下になる。差別事件かどうかの判定基準は不明だが、少なくともAさんとBさんの関係は、元来、非対称的な関係にあることが考慮されたのだろうか。Bさんの反撃は、おそらく想定外だった。そうでなければそのような発言はしない。そのとき、急に恐怖感でも抱いたのだろう。Cさんもそのように語る。もしそうなら、その恐怖感はどこから来ているのだろうか。

 回答は、簡単である。日常的には何気なく交流していても、潜勢力として存在する、部落という言語とそれが形成するイメージの意味作用が現勢力となって表出するのである。それも、ちょっとしたことで……。

 最近、研究者や活動家以外の人々と会話をする機会が増えた。時々拙宅を尋ねてくれ、またある人は、街で偶然あって喫茶店などでしばし会話をする。そうした人は、あまり無駄話をすることがない。私の著書の批判だったり、理解できない事柄の質問だったりする。しかしそれだけではなく、私にとっては、大変根源的な批判を受けることがある。それは最近とても厳しくなっている。

 私は、他人の人生に分け入り、被差別の事実や、あるいはそれによって形成されてきた精神構造などに興味がある。ゆえに、インタビューをお願いすることがある。そのことをある女性にお願いすると、その返事にショックを受けた。彼女は、「語れば語るほど差別を助長する」と言うのだ。「私の語ったことが、論文や記事になって社会に出ると、どのように表現されても、それを読む人に部落差別を再び思い出させてしまう。それを読んで希望をもったことがない」と続けた。これを解釈すると、被差別部落の彼や彼女の生きてきた記憶を記録に変換するときに、差別を再生産し、どうじに当事者の精神に害を及ぼすというのだ。またある人は、「語ることはむなしい」と述べた。厳しい発言に、私には、返す言葉が見当たらなかった。

 私は、彼女の話を聞きながら、山田富秋さんの『日常性批判』を思い出していた。それは、安曇さんという障害を持つ読書好き女性の発言であった。それにはどの本を読んでも障害や病気や死は常に不幸と悲しみの各地悲惨と絶望としてしか描かれない。障害を持つ人たちに自分たちがかけがえのない存在だというメッセージを送る本など一冊もなかったという行であった。安曇さんはそうした状況のもとで自ら死を選ぶ方向に追い込まれていく。

 読み手として振り返り、私が面白いと思った研究論文の背景には、より複雑化し深刻化する差別の再生産が存在する。こう考えると、研究は他人の不幸の上に成り立っている。しかし、研究を中止することはその状況をさらに悪化させるだろう。そして、私は、読む人を勇気づける研究は必ず可能だと信ずる。資本論は搾取され抑圧される労働者の不幸をあますところなく描いているが、それを読んだ私は希望獲得した。

 私は、フィールドワークで何度か、インタビュー相手の被差別部落の人々から「私を部落と呼ぶな」と言われたことがある。彼ら彼女らは、部落解放運動と距離を保つ人々であった。その人々は、例えば、自分たちの祖先は隷落した武士の子孫であるとの伝説を信じ、その汚名を晴らすべく教育をつけ勤勉に働いてきた。よく似た伝説が非被差別部落にも語り継がれている場合もあり、驚くこともあった。また、旦那寺の住職も、その人々がやんごとない一族の子孫だと聞かさてきたという。私は、これらの伝説が史実かどうかにあまり興味がない。ただ、そのように信じてきたことには意味があると思っている。

 そんなことより、「私を部落と呼ぶな」いうことに、私は、被差別部落民のリアリティを意識させられる。何度か述べてきたが、それは、現在、「部落民」と呼ばれる人々が、「部落民」という呼称を自ら名乗ったから「部落民」になったからではないからだ。黒川みどりさんが明らかにしたように「部落民」という記号が登場するのは、1907年で、文字どおり突然、公式に「部落民」の歴史がはじまる。

 ジャック・デリダは、『悲しき熱帯』におけるレヴィ・ストロースの自己批判をさらに批判する。レヴィ・ストロースが子どもの名前を発話したことによる暴力事件における真の暴力は、子どもに「名づける第一の暴力が存在した」ことにあるという。デリダは、それが「原暴力」というのだ。この論理を援用するなら、「部落」という言語の発明、それ自体が「原暴力」と言える。

 翻って、全国水平社以来の部落解放運動では、賤称としての「部落」を誇りとしての「部落」に逆転させてきたのも事実だろう。それは、価値転換させた「部落」以外に自己を表彰する言葉がなかったからでもあると考えられる。私は、今更、「部落」に代わる他の言葉を創造すべきだと主張するのではない。20世紀初頭に「部落」と名付ける「原暴力」があって、その一撃、それが今日の状況を構成しているのではないだろうか、と言いたいのである。

 日本の祭りに不可欠な人々がいる(た)。それは、テキヤと呼ばれる人々である。場合によっては、香具師も呼ばれる。祭りや縁日に屋台を出店し、場を盛り上げる多様な商売の集団である。その場の安全をコントロールし、衛生を維持してきた。そして糧を得る。祭りが終わり、屋台が移動すると、あとの清掃をするのも彼らだった。ときに、祭りに介入する理不尽な暴力を排除するのも彼らであった。

 彼らは、日常的には自分の住居に定住し、彼ら自身のいわば経済的コミュニティに所属し、そのコミュニティの仕法に従ってビジネスをする。コミュニティには、強い指導力をもつ責任者が存在する。そして、極めて市民に近しい存在だった。たとえば、私は、縁日の啖呵売から買った包丁がなまくらだとしても、文句を言うものではないと教えられた。その理由は、支払った代金は、そのなまくら包丁で、かまぼこ板のような厚さの木切れを野菜でも切るかのようにザクザクと切り刻む技術=芸と、歯切れよくときに小気味よく、客を彼らの世界に引き込み喜ばせるエンターテイメントの観覧料だからと諭された。

 しかしこのようなことは、現代なら詐欺として訴えられる可能性が高いだろう。なぜなら、彼らが暴力団に数えられているからである。私がこどものころは、テキヤは、ヤクザとは完全に異なったカテゴリーにあったが、1993年の暴対法成立以降、彼らも暴力団の一員に数えられるようになった。国家は法律を強化しヤクザを追い詰めようとし、一方、暴力団排除条例を都道府県単位に制定し、ヤクザと接触する市民を罰しようとした。廣末登さんの『テキヤの掟』には、テキヤ廃業後、建設業を経営した人が、発注主に圧力をかけ暴力団関係者として、ビジネスから排除される様が実証的に描かれている。廣末さんの記述は、今現在に起きている矛盾として提示される。そして、テキヤは暴力団ではない、と断言する。

 私は、このテキヤ排除の過程が、国の同和対策事業の廃止と、部落解放運動の味方を装っていた人々の裏切り、そして、2018年になされたマーク・ラムザイヤーによる部落民=暴力団というキャンペーンによる被差別部落民排除との同時進行性に気づかざるをえないのである。また私は、警備保障会社の従業員が被差別部落を社会安全上の監視対象として認識し行動していると書いたことがあるが、その、2006年のインタビューが思い出されたのである。わたしは、テキヤ排除に知の暴力が働いていると考える。それは、岩井弘融の研究スタンスに見ることができる。岩井の『病理集団の構造』その緻密な研究において他に類を見ないものであるが、ヤクザもテキヤも社会的病理集団として認識していることに重大な問題があったと考える。テキヤは暴力団ではないと断言できるし、また廣末さんの著書を参照すると病理集団でもない。アカデミズムは、関係性論や、本質主義的な部落認識で被差別部落のイメージを歪めてきたように、テキヤを排除するイデオロギーを醸成している一要因もまた知の世界にあるのかも知れない。

 ところで、廣末さんの著書は、彼自身がテキヤとしての暮らしを体験し、テキヤのライフヒストリーに誠実に寄り添った結果である。物語に引き込まれるのはそのためだろう。しかし、一言だけ異論を挟みたい。それは、テキヤを「裏社会」とする認識である。廣末さんは、それをテキヤの隠語の存在に語らせる。隠語は、多くの仕事につきものである。大工にも、床屋にもある。タクシードライバーも、百貨店の販売委員もそれぞれの隠語を持っている。アメリカのジャズメンは、「ピッグ・ラテン(Pig Latin)」を好んで使った。日本のジャズメンもこれを模倣し逆さ言葉を使用した。ジャズは、ズージャである。ベースは「スーベー」である。数字の代わりに「キー」を使う。

 私は思う。社会は裏と表の二項対立で存在するののではない。「裏社会」という言葉を使ってしまった場合、表社会には、「裏社会」的な何ものかが全く関わりないものとして想像されるからである。もちろん実態としてのテキヤ世界は存在する。廣末さんが記述したテキヤは、「市民社会」に住み家業に勤しむ。ある人は、人情豊かで、倫理的で面倒見がよい。そして、普通の市民にも見られる現象として博打にのめり込む。要するにどこから裏で、どこから表かわからない存在なのだ。表社会にも裏社会の猛者が腰がひけるほどの悪党がいる。

 数日前、友人から、めったに見ることのない7月8日発売の『週刊ポスト』のある記事を読むよう勧められた。それは、ある部落差別にかんする記事であった。どうせ、部落解放運動や「同和行政」への根拠がないゴシップ記事だと思っていたが、そうではなかった。「封印された大阪市職員『ぶらく差別発言』という大見出しの記事であった。大阪港湾局設備課の職員2人が、同僚について差別発言を繰り返していた事件のことであった。その事実については、すでに聞いていたが、まさにその詳細であった。

 記事によると、2人の港湾局設備課の職員は3月18日以降、3日間にわたり、設備点検に使う公用車内で、一人の職員が、別の同僚を名指しし、差別発言を数十回行った。同乗していた上司は、それをたしなめず、むしろ助長させる差別発言をしていた。何故、自動車という密室での行為が表沙汰になったのかは、彼らの、いかんともし難いお粗末さに起因する。彼らの言動は、すべて車載のドライブレコーダーにしっかりと記録されていたのであった。

 通常、差別語とされる、例えば「穢多」という語が使用されたばあい、それが差別かどうかは文脈で慎重に判断される。しかし、今回の事件は、その手続きが大幅に省略できる。なぜなら、「どえった嫌いや」と75回も叫び、明確に「差別大好きーやもんね。だって、そういう風に育ってきてんもん僕ら」と彼らが差別意識が彼らのハビトゥスであると誇らしげに自己暴露し、かつ、しかも、発言が明るみの出ると「人権研修を受けなあかん」ほどの悪意であると知った上で、さも楽しげに会話しているからである。まさに剥き出しの差別である。大阪維新が支配する大阪市は、この事件を2ヶ月以上公表しなかったし、また発言の内容も全体を開示していない模様である。彼らは彼等で、部落差別の存在を認めたくないのである。

 この差別事件は、国民融合論が部落差別を解消過程にある現象であると断定したこととを、完全に否定していると、私は考える。同時に「両側から超える」という藤田敬一が発明した「理論」がいかに不毛であったか、そして、野口道彦、八木晃介、三浦耕吉郎らの被差別部落民は、人間の関係性において存在するので「関係カテゴリー」と理解するという議論の無効性をあらためて再確認する。

 この事件の全容を解明することは、差別がどのように存在するのか現実をより明白にすると考える。この事件の「えげつなさ」は、私の現状認識に確信を深めた。月並みな言い方をすると、これは氷山の一角であって、特殊な事件ではない。

 映画:『私のはなし 部落のはなし』(満若勇咲:監督)は、三重県M地区、京都府S地区、大阪府K地区の比較的大型の被差別部落を舞台にした「ドキュメンタリー映画」であるが、むしろ「語り」の映画である。被差別部落民の語り、差別する側の語りで全編が構成されている。上映案内の文脈では、2007年制作の『にくのひと』が撮影現場の屠畜場所在地から被差別部落所在地が特定されるという抗議によって、2010年に公開が中止になったことで2016年に『全国部落調査』復刻事件に興味をもち、再度部落問題の映像制作を目指したのがこの映画だという。
 映画は、被差別側の語りに差別する側の語りが延々と被さる。その制作手法について満若がウェブで語るところでは、「差別を受けている当事者が差別する側の言葉を聞くのは酷だし、そこに不快感や怒りがあるのは当然の感情なので、それは、「差別されている側の『本当の痛み』はわから」ない「非当事者である自分の仕事だろうという発想にあるとのべている。その痛みを「共有することは不可能で、むしろ非当事者が自分事として捉えることができるのは、無関心だったり、差別する側の意識だ」と断言している。なるほど、久しぶりに3時間以上(正確にいうと3時間25分)も暗澹たる気持ちにさせてもらった理由はここにある。結局映画を通して、差別される側は、直接差別する側の差別する語りに付き合わされる。満若による「ご配慮」は、たちどころに破綻する。
 暗澹たる気持を決して忘れないように簡単に感想をのべておく。

1 リベンジ映画である、
 この映画のテーマが理解できない。一体作者、満若は何を言いたいのか。結局、映画『私のはなし 部落のはなし』は、満若のリベンジ映画なのだ。前作(『にくのひと』)が上映中止になった「被差別部落所在地が特定されるという抗議の重要な内容は、当時高校生だった娘さんが部落差別によって自殺に追い込まれた兵庫県の男性が明確に語っている。その悲劇の記憶と再発への懸念という一点において、前作「にくのひと」映画の上映中止は合理的である。(私なら、それを知ったら安易なドキュメンタリー映画は二度と作らない)満若は、前作の上映中止要請に相当抵抗したようだが、私に言わせていただくと、ことの深刻性に気がつかないこと自体、部落問題にかかわる資格がない。その後満若は、部落問題を『全国部落調査』復刻事件で学んだそうだが、知識はともかく、結局自己を対象化することがなかったようだ。
 最終部のシーンは、この映画の本質を見事に表現している。ある集まりで「足を踏まれた者の痛みは踏んだ者にはわからない」という被差別部落の若者の発言に「私のことが分かるのか」と非被差別部落の女性から反論が出たという。発言する登場者は、これに屈服した。被差別部落民が言う「痛み」は、部落差別の痛みでる。反論した非被差別部落民の痛みは、それに比べるべき痛みではない。かりに女性としての痛みであるなら、それはそれで、別の議論になる。例えば女性差別と部落差別の議論が可能である。自分の子どもの結婚は、どの親にも心配事である。だが、被差別部落の親の心配と非被差別部落の親の心配は非対象である。被差別者、被害者を想像できないものは差別者である。部落問題は、個人の達成感を満たす道具ではない。

2 なぜネガティブなトピックしかないのか
 この映画には、部落解放運動についてのネガティブなトピックしかない。うんざりするほど冗長な全編を通して、満若は部落解放運動が社会全体に提供してきたポジティブな影響を無視し続けた。映画は、まさにマーク・ラムザイヤーが書いた冗長な論文に似ている。ラムザイヤーのヤクザについての記述を除けば瓜二つである。戦後のみをとりあげても、部落解放運動は日本の「人権状況の前進に大きな役割を果たしてきた。それは、社会制度をテーマとした問題だけではない。とくに、マイノリティの運動は、部落解放運動が発展させた糾弾の思想に学んでいる。そのことに一切触れずに、「不祥事」のイメージが膨らむように構成・演出されている。ネガティブキャンペーンは、しばしば差別者がとる常套手段である。そして、全体を通して本質主義である。
 もしも、映画が部落差別と真摯に向き合うというなら、『全国部落調査』復刻事件の張本人、宮部某を登場させる必然性はない。宮部という人物の行為の差別性は、不十分ではあったが、裁判の判決から十分うかがい知れる。なぜあれごとき人物をわざわざ登場させるのか。それは、出演者として「敬意を払」うからだそうだ。そしてさまざまな人物や主張をまるで店先に陳列するように「敬意を払」って並列的に示して、オーディエンスに選択を求めているのである。一見公平にみるが、じつはそうではない。それは、客観主義である。満若の思想は何処にあるのか。陳列された「商品」選択は自己責任になる。そして、差別主義がヘゲモニーを握る状況、たとえば圧倒的に差別的なSNSが主流の時代で、そのやり口にはオーディエンスが差別主義を選択するような仕組みが構造的に埋め込まれている。
 尾道差別アンケート事件を思い出そう。ネガティブな選択肢しかないアンケートの差別性が問題にされたではないか。われわれはその経験から、差別問題における客観主義は結果的に差別主義を促進することを知っている。

3 貧困と部落差別が無関係という宮部の発言を垂れ流す
 貧困と差別については、宮部の「無関係説」を一方的に流すだけで、明確な反論を誰にも語らせていない。つまり全編を通して、宮部のストーリーをなぞっている。映画全体の文脈は、部落差別が存在しないという宮部の説に沿った演出になっている。だが存在しないのに「部落探訪」にこだわる宮部の矛盾を満若は放任したままである。ゆえに、満若が宮部を批判的にはみていないとえる。
 いまなお、被差別部落の貧困は凄まじい。貧困は被差別部落に集中し、差別と相関関係にあることをデータが語っている。

4 部落差別と資本の関係に触れない
 みどりさんの解説では、近代の部落差別を天皇制との関係で説明しようとはしているが、部落差差別と資本(主義)の問題が欠落している。そして、天皇制を廃止しても差別は残るという。推測だが、ホワイトボードまで準備して、黒川さんに満若が欲することのみ説明させて映像に纏めたように感じる。演出がわざとらしい。だが天皇制は、華族制度と被差別部落の関係という近代身分の「徴」であり、解体されるべきである。(撮影ではしているが編集で割愛されたのかもしれない)。中上健次がどうしたというのか。天皇制の議論の文脈で、どうにもすることができない天皇制と部落差別、という中上の文化論を持ち出すのは明らかに誤りである。中上も資本主義の問題に言及している。それに上部構造だけをいくら議論しても意味がない。われわれが議論すべきは、資本主義的生産関係である。社会の構造である。文化論はそれからである。
 それを端的に表すのが、京都S地区でのシーンである。S地区の住民はなぜ愛する居住地を離れ移転しなければならないのか。慣れ親しんだ地域を失う彼女の悲しみは何故なのか。問題の本質が一切描かれない。理由は簡単である。それは、ジェントリフィケーションである。資本と権力の欲求で住民は移住する。箕面のK地区についても、非被差別部落民との「協働創造」「市民との協働」が強調されたが、それは、被差別部落の生活の改革をめざす課題を結集軸にした共同闘争ではない。そこには物販を主題にした利害関係が埋め込まれているだけである。このようなやり方は、一般社会の何処にでもある。ここから何が生まれるのか。なぜそれが言えないのか。この映画の背景にある意図を想像する。

5 論点のすり替え
 在日朝鮮人が多く暮らすH地区の話題は論点のすり替えである。S地区が抱える本質的な問題が何かを議論せずに、議論を在日朝鮮人問題にまで拡大している。議論が深ければ歓迎する。だが描かれたそれは、浅薄極まりない。S地区に住んだ経験がある私は、両者間にあった軋轢を知っている。双方が決して共感をもって生きていたわけではなかった。切り込むならそこまでを映像化すべきだった。それが一切語られない。満若はそれを放棄し冗長な映像で時間を無駄にした。
 全編を通して、被差別部落の人々の語りに何が埋め込まれているのか、それを「普通」のオーディエンスが理解するのは難しい。それを計算して、オーディエンスの(差別的)情緒に訴えようとしたのなら背筋がぞっとする。K地区における被差別部落と非被差別部落の青年たちの会話に表れていた非対象性、あまりにも違う意識の構造、また、三重の前川の近隣で非被差別部落の女性たちが語る「被害」は作者である満若の偽らざるリベンジの声だろう。

6 何が埋め込まれているのか
 部落解放運動の不祥事があったのは事実だろう。だがそれがどうしたというのか。刑事犯は逮捕され、刑罰を受け監獄に収監されたものいる。法治国家としては当然で、それで事件も終わっている。もっとも、たとえばハンナン事件は、被差別部落出身者が業界と行政の汚泥をのまされた事件であった。マートンの業績を引くまでもなく、犯罪はホワイトカラーに圧倒的に多い。だが、ひとたび被差別部落民に関係して事件が起きると、その責任を全被差別部落民が永久に負わされる。満若は、バランスをとったつもりで黒川さんに世良田村事件を例にあげさせたが、現代社会のヘゲモニーは決してそれに多くの共感を与えようとはしない。広島で発生した前代未聞の買収金額による選挙違反事件は、すでに市民の記憶の彼方にある。だが被差別部落民の不祥事は、何十年の時間が経過しても常にその記憶が再生産される。部落差別はこのように構造化している。

 部落差別は人々の身体に埋め込まれている。だからこそ不意に差別発言や行為が発生する。被差別部落民も障害者差別、民族差別をする可能性はある。また、男性の被差別部落民は、女性の被差別部落民を蔑視するかも知れない。しかしそれは、自己と他者が入れ替わることを意味しているのではない。こうした問題は、被差別の立場に立つ議論ではインターセクショナリティの、また差別加害の問題からはポジショナリティの問題として議論するものである。インターセクショナリティの概念は、差異を必要とする社会構造を分析するうえで差異を語るその位置づけの問題である。例えばマイノリティである被差別部落民であり、女性であり、障害者であることで受ける加算的差別の分析方法の問題として提起されていると考える。

 熊本理抄は、上野千鶴子は部落解放運動内部の女性差別を論じるが、女性解放運動内部の部落差別は論じないと批判している。さらに熊本は、日本で流通する複合は、multiplediscrimination(複数の差別)の翻訳で、complexdiscriminationとは別の概念であると分析している。前者による理解は、一人の人間主体を複数に分けることになり、キンバリー・クレンショーによって導入されたブラック・フェミニズムのインターセクショナリティ=「交差性」概念を使い切ることができないとの主張であろう。重要なのは、「差別の複数性にあるのではなく、交差性に」あり、それは、「一人の人間に相互に絡みあって立ち現れる抑圧のアマルガム」の分析にあり、そこに解放を求める主体形成の可能性を見出す。筆者は、熊本の主張がきわめて鋭い知見に基づいていると考える。

 つまり、「被差別部落民であり、女性であり、障害者である」という状態はそれぞれが別のカテゴリーとして一人の人間に備わっていると認識するのではなく、「アマルガム」、すなわち合金のように融合した一つのカテゴリーと認識されるべきといえる。ポジショナリティの議論は逆に被差別部落民でありながら男性であるという抑圧的「アマルガム」としてどのように自己認識し告発にどのように応えるかという問題であろう。もちろんこの考え方にも疑問の余地はある。それは、マイノリティのカテゴリーが際限なく細分化され、結局、個人化または切片化する危険性である。しかし、筆者の議論からは、「アマルガム」概念は、インターセクショナリティの問題を過誤なく言い当てていると考えている。

 熊本は、被差別部落女性としてインターセクショナリティを問う立場から、「絶対的な被差別者がいるという考え方に私はくみしない」としたうえで、しかしその考え方を安易に述べることに欠落していることがあるという。それは、「抑圧がどうつくられてきて、権力をどうつくってきたのか」「権力構造が具体的にどのように作動するか」という問題だという。

 マイノリティとマジョリティの間は、非対称的な関係である。それは、暴力的で入れ替えが不可能な関係である。被差別部落女性は、アマルガムなカテゴリーに置かれている。それは、非被差別部落の男性はもとより女性からも差別を受け、被差別部落内では、被差別部落男性による暴力的な支配の対象である。被差別部落の女性の闘いは、女性解放運動からも存在を無視されることがあった。つまり、筆者は、複雑に融合する被害と共謀関係を「関係性」の議論では説明できないと考える。